昔から人間は自然数や整数、集合に関して厳密な定義をしないまま暮らしてきた。現在では整数は自然数より導出し、自然数は集合によって導出されている。礎となっているものには必ず公理系という概念が存在し、自然数に関しては「ペアノの公理」、集合に関しては「ZF公理系」、「ZFC公理系」などがある。要は公理の上に数学が立っている。なぜそこまで厳密に定義しないといけないのか?有名な話では、適当に集合を定義していった結果、矛盾が生じ(→ラッセルのパラドックス)それまで定義されていったものがすべて使い物にならなくなってしまったということがあった。今仮に1+1=2が偽だったことが判明した場合世にあるすべての公式、定理が崩壊するであろう。よって一番深い礎を正しく設定しないとその上に立つものはとてももろい存在となるのだ。[br] 今まで習った確率はあいまいで数学的には不完全であった。大学で習う確率(論)はあいまいだったものを厳密に定義、公理に基づき学んでいく。
ランダムな結果が出るような行為を実行することを”試行”という。[br]その試行の結果として起こりうることの集合を事象という。[br]試行の結果の一つを"標本点"といいωで表す。[br]標本点ω全てを含んだ集合を”標本空間”といいΩで表す。記号で示すと[math]\Omega\ni\omega[/math]である。また、Ωには事象も含む。[br]標本点を含まない事象は[math]\varnothing[/math]である。例えば、数字を1つ選ぶときその数字が奇数&偶数であることは絶対にない。[br][br]例としてサイコロで説明する。[br]サイコロ1つを投げるというものは”試行”である。[br]事象は例えば6が出るや偶数が出るなどがある。[br]標本点ωは1が出る、2が出る、3が出る、...、6が出る、の6つある。[br]標本空間ΩはΩ={1,2,3,4,5,6}[br][br]排反集合や和集合に関しては割愛(数Aの教科書みてくれ)
1~10の数からランダムに1つ選ぶ。事象Aは偶数、事象Bは3の倍数であるとき[math]A^c\cap B[/math]の事象をすべて選んで
簡単に言うとその事象が起こる比率、割合である。[br]事象Aが起こる確率をP(A)と表す。もちろん確率が-4や確率が1.5ということはないので[math]0\le P\left(A\right)\le1[/math]である。[br]全ての事象を含んでいる全事象Ωの確率P(Ω)=1である。[br]またAがΩの場合もあるので一般に[math]0\le P\left(A\right)\le P\left(\Omega\right)=1[/math]である。
確率というものを以下のように定義する。(コルモゴロフの公理)[br]第一公理:[math]0\le P\left(A\right)\le1[/math] (任意の事象A)[br]第二公理:[math]P\left(\Omega\right)=1[/math][br]第三公理:[math]P\left(A_1\cup A_2\cup...\right)=P\left(A_1\right)+P\left(A_2\right)+...[/math] (排反な事象[math]A_1,A_2,...[/math])